花を奉る

先日、NHKのETV特集で2月に放送された
石牟礼道子 花を奉る」の録画をやっと見ました。
著作の「苦海浄土」第一部は前に読んでいたものの、
作者自身についてはほとんど知りませんでしたので、
この番組で彼女の生い立ちなどを初めて知ったしだいです。
苦海浄土」を読んだときは衝撃を受けました。
限りなくノンフィクションに近い小説。
歴史的事実を扱っていて、登場人物も実際に実在しているけれど
文学であるということに驚き、
しばらくは自分の中で落ち着きませんでした。
しかも、登場人物たち、田舎の漁師や、漁師の嫁といった人物が
自分たちの言葉で、方言で、いきいきと海や土地の美しさ、
彼らの心情を語っています。
その力強くて美しい言葉。
ちょっと衝撃的でした。
石牟礼さんが、こどものころに見聞きした狐のはなしなどから
少し彼女の小説の秘密を覗かせてもらった気がしました。
きつねについては、絵本「みなまた 海のこえ」で
やはりいきいきと描かれています。
番組の中で、尊敬する原田正純先生が石牟礼さんを
訪問する場面もあり、姿を見れてうれしく思いました。
私が今の仕事、労働安全センターの職員を始めたころ、
原田先生が全国労働安全衛生センター連絡会議
議長を勤めてくださっていた縁で、
水俣も訪問して勉強させていただきました。
水俣」は私たちのような運動団体にとって、
今もしっかりと学ぶべきものであり、
そしていまだに解決していない問題です。
私たちはほんとうにいまだに
たくさんの問題を解決できないまま抱えています。

原発もそんな問題のうちのひとつでした。
福島原発事故の直後、
これまで運動にかかわった人たちは
ものすごい悔恨と落胆を感じたことでしょう。
それまで、全力で取り組んできた方たち
お金も時間も使って裁判まで起こして負けて
でも闘ってきた人たち、
私のようにほんの運動の片隅にいたものでも
もっと何とかできなかったのか、
もっと全力で訴えていたら…
茫然自失するやら、がっくりくるやら。
うっかりtwitterでそうつぶやいたら、批判されました。
後悔なんて役に立たない、先のことを考えるべきだ、と。
それは確かに一理ありますけど、
私には、この人たちは、まったく自分には責任がないと思っているんだなと
感じられました。
自分は安全神話に騙されたてきた被害者だと。
果たしてそうでしょうか?
裁判もまったく報道されなかったわけではないし
書籍も多数出ていますし、原子力資料情報室のように
常に情報発信してきた団体もありました。
知ろうと思えば知ることはできたんです。
自分の無知が暴かれたとき、
恥じ入ったり反省する心は必要です。
そして正しく反省して前に進みましょう。
だから私は「自虐史観」とか主張する人を信用できません。
過去を反省できないとまた同じ過ちを繰り返してしまうでしょう。
日本を原発だらけにしてしまい、
原発事故で世界に放射能をばらまいたのは日本人みんなの責任です。
私たちは今からどう行動するか、
過去の苦しんできたすべての人たちに恥じない道を
一歩一歩確かめながら進んで生きたいです。

と立派なことを言っていますが、
私の歩みはかたつむり、それでもね。