ゆったり、について

今さらながら、「ゆったり働こう」キャンペーンについての思いを書いてみようと思う。
ゆったり働こう、というコピーに抵抗を感じる方も多いというのはわかります。
・勤勉に働くことを尊しとしている方々、怠け者を軽蔑する方々
・ゆったり働くなんて現実にできるわけないじゃん!という方
などなどわかっているのですが、それでもこれをスローガンにもってきました。
やはり一番の抵抗になっているのは、
よく働くのがすばらしい、という概念ではないでしょうか。
もちろん、私もよく働く人を尊敬します。
でも、よく働くの意味は、「長時間働く」ではないですよね?
仕事をたくさんこなす方は尊敬できますけど、
それは長時間働くからではなくて、
早く仕事ができる、適切にできるとか
成果が高い仕事ができる、優れた仕事ができる
ということではないでしょうか?
そう考えると、日常的的にとにかく長時間働くことが
尊敬に値するでしょうか?
優れた仕事をしたうえで、
自分の事だけじゃなく職場の同僚への気遣い、
コミュニケーションや全体の共同作業の連携、
それらをこなしてこそではないでしょうか。
しかし、実際には職場で長時間の労働を強制される現実があります。
そのうえ働いた分の残業代も支払われていないケースが
後を絶ちません。
企業に、上司に言われるままに働かなければ
望まない配置転換をされたり、
仕事を押し付けられたり、取り上げられたり
パワーハラスメントにあったり、最悪は雇用が危なくなったり
現実問題、不可能ということもあるでしょう。
そのとき、私はいやなんだけど会社を変えるなんて無理だし…、と
自分をごまかしていませんか。
仕事だし仕方ないとか、くびになったら困るしとか、
反抗するのもしんどくてごまかし続けます。
私のところに相談に来る方は、すでに手遅れになった方です。
働きすぎてなくなってしまった方、
命は助かっても障害者になってしまった方、
その中の誰一人、それを仕方ないとはいいません。
あのとき、こうしていればよかったと、後悔しています。
厳しい現実に直面している労働者に
そういうことを話すのはムダでしょうか?
私はそうは思いません。
自分の命と健康を守るために知恵を絞るべきです。
企業を変えられない、上司を変えられない、
でも何もしないのは自分の首を絞めるばかり。

仕事というのは厳しく辛いのが当たり前という考え方もあるでしょう。
たしかに肉体的に大変な仕事はたくさんあります。
でもだからといって、必ずしもひどい仕事であるとは思いません。
苦労してもやりがいを感じられたり、人に感謝されたり
意義が感じられる仕事はたくさんあります。
仕事は辛くて苦しいものではなくて、
生きがいを感じたり、人の役に立ったり、自分を成長させたり、
生活を精神面でも豊かにするものではないでしょうか?
そのように考えることさえあきらめていませんか?
わたしはまず、みなにそのように考えてほしいと思います。
そう考えることさえ否定していては、そうなるでしょうか?
「ゆったり働こう」キャンペーンは
本来、働くとはどういう事か思い出してほしい、
そういうキャンペーンです。

だらだら書いてみたもののこれだけではつまらないので、
おまけに1曲。
泣いても前向きに、のりこえていこう
ということで
pigstarのsheep songをどうぞ。

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