怪人となりはてても

いじめやハラスメントの問題についていろいろ考えるのですが、
やはり、この問題が瞬く間に解決する方法というのはありません。
職場でいじめがあったとき、当事者、そして労使間で話し合いが持たれ、
なんらかの解決がなされるということはあるでしょう。
しかし、ことを穏便に済ませたい使用者と、尊厳を回復したい労働者の間で
双方の意見がまったく異なるのを
無理にある程度の妥協点を見出したに過ぎないことが多いでしょう。
またいじめの防止についても、
根本的な対策を取ることは不可能ではないか
とさえ思えます。
ガイドラインを作ったり、就業規則に禁止を取り入れたり、
相談窓口を設けたりということはできます。
しかし、それは根本的な解決ではありません。
この間の厚生労働省の「いじめ提言」などを見て、
そう感じている人も少なくないのではないでしょうか。
前にも書きましたが、いじめ・ハラスメントは
いじめの加害者・被害者間の個人的な問題ではありません。
職場の企業風土、労使関係のあり方の問題というだけでもありません。
そのような職場のあり方を生み出している社会的な構造があります。
3年ほど前から、貧困問題、格差社会といった問題が
ほとんどはじめて注目され、政府が何らかの対応を行いました。
いじめの問題も根本は同じです。
派遣労働を企業に縛られない自由な働き方であるとか、
変形労働時間制やフレックスタイム導入で自由時間を増やすとか、
私たちはだまされてきたんです。
自由で多様な働き方、いいえ、ちがいます。
その言葉を隠れ蓑に、安い便利な労働力が増やされてきたんです。
同じ職場に派遣労働者契約社員や下請け労働者や
他社の出向社員や非常勤社員などなど混在して働いていて、
それぞれが縦割り、与えられた部分の仕事のみをやり、
互いの協力作業もなく、
業務指示はメールで会話もなく
黙って働く職場。
到底労働の意義や喜びを感じられるとは思えません。
私たちがこのように、簡単に分断されてしまうのは
なぜでしょうか?

若い人には労働者とか、労働組合、労働運動、
などという言葉には抵抗があるようで、
市民運動とかNGOなどほうが取り組みやすいようです。
確かに、労働運動というと今でもマルクス主義が、
とか演説されて、インターナショナルを歌わされそうですが、
でも、わたしたちは働いて自分を養っている限り労働者です。
働く人です。
働くにまず大切なことはなんでしょうか?
健康に、安全に働けることです。
職場で事故があると事業主、使用者の責任が問われます。
職場では、第一の責任者は使用者です。
しかし、何かあったときに被害をこうむるのは私たち労働者です。
責任者である使用者に規則や対策をおまかせにしていて
いいでしょうか?
普段から人任せにしておいて、
何かあったときだけ文句を言うというのでは
何も変わっていきません。
問題が起こってからでは遅いです。
今から良い職場にしていきましょう。
1人では出来ません。
職場での関係作りが大事です。
社会構造や使用者側に分断された関係をとりもどしましょう。
今の若い人たち
ますます人と違った行動を取ることに抵抗があるようです。
あるいは、いじめられたりしないように
周りに埋没していることが自己防衛手段となっています。
小学校からとにかくみなと同じように行動すること、
規則はとにかく守ること、という教育を受けます。
自分の頭で考え、行動することを否定されてきたのです。
でも今からでも遅くないです。
なにか小さなことからでも変えていきましょう。
やがては、国の法規制の制定など大きな動きにもつながっていきます。

ちょっとふざけた動画ですが、
共感しました。
いま、人と違った行動をする人は「怪人」と呼ばれるのです。
なにごとでも怪人になってもやらなくてはいけない場合があると思います。

「怪人の唄」

尾米タケル之一座HP
http://www.okometakeru.com/